日記
未完成
気がつけばもう一か月も日記を更新していなかったんですよね。
いやもちろんわかってはいたんですけれども。
忙しかったとか、ほかのことに夢中でとか、そんなことではないのです。
たまには行動を起こしていたんですよ。
「猫がよけいなことを覚えてしまった話」とか「歯医者さんで褒められて嬉しかった話」とか。
そんな、数々のくだらなくてどうでもよい内容の日記が中途半端な状態で保存されております。
なにしろくだらなくてどうでもよい内容ばかりなので、施術などで入力の途中でストップしてしまった場合には後で再開しようとしても続きが書けないのです。
なにか伝えたいこととか役に立ちそうな豆知識的な話題だったとしたら、きっと何度中断してもするすると再開して更新までやり遂げられるのだろうけれども。
というわけでこの一ヶ月、公開までは至っていないものの更新作業はしていたので私の心の中では「サボっている感」が少なめ。
これがまたいけない。
なんか作業してるな、時間を費やしてるな、私。
そんな感覚だけはあるから、あまり焦りもない。
とはいえ一ヶ月、なんにもカタチにできなかったなぁと反省の心はあるのです。
明日から4月、来月はもうちょっときちんと更新できたら良いなぁと考えております。
ここで「来月こそがんばります」と宣言してしまっては自分で自分に余計なストレスをかけてしまうことになりそうなので、「できたらいいなぁ」程度に。
あいかわらず役に立たないくだらなくてどうでもいい内容となってしまうとは思いますが、今後も息抜きがてら時々お付き合いいただけましたら幸いです。
実験好き
先月、大親友からちょっとおもしろいものをいただきました。
ぬか床です。
てことは、大親友はぬか漬けを極めていて「これおいしいからぜひ試してみて!」というメッセージなのかと思いきやぜんぜんそうではなく。
彼女が言うところの「実験好き」な私にぴったりだなぁと思ったから贈ったのだと。
ぬか漬け素人の私。
だいたい、ぬか漬けの味というものをよく知りません。
漬物をいくつか並べて「この中からぬか漬けを当ててみなさい」と言われたらたぶんわからない。
なんとなーく、ぬか床を毎日かき混ぜてお世話をしてというようなイメージがぼんやりある程度です。
私の性格にはまったく向かないものだなぁとずっと思っておりました。
いくら実験好きとはいえ、これだけは手を出しちゃいけない世界だなと。
そんな私が始めてしまったぬか漬け生活。
このぬか床の袋を開封してしまったらもう後戻りできない…なんてドキドキしながら勇気を振り絞って始めたのですけれども、そんなに大騒ぎすることも覚悟も必要なかったのね。
素人でもおいしくできるようにきちんと工夫されているぬか床なのでした。
毎日毎日きちんとお世話しなくても大丈夫なんですって。
一般的なぬか漬けの味というものをよくわかっていないけれども、たぶん私はこのぬか床の味がとっても好きなんだと思う。
ゆずと花椒のぬか床、なんですよ。
すてきでしょう?
そこは大親友のセンスです、すてきなぬか床を贈ってくれたのでした。
しかもちゃんと足しぬかまでセットにしてくれてすばらしく気が利いております。
そんな大親友の気持ちにこたえてかれこれ一ヶ月以上、ぬか漬け生活が続いておりまして。
足しぬかも自分でお取り寄せして、大事にぬか床を育てておりますよ。
こうなるとちょっと欲が出てきて、同じお店で取り扱っている「にんにくと唐辛子のぬか床」というのも試してみたいなぁと思ったり。
そしてさらに、今年は庭で育てた人参をぬか漬けにしたいなぁと思ったり。(人参のぬか漬けが今のところ一番のお気に入りなので)
人参が収穫できる頃までこのぬか床が販売され続けていますようにと、それだけが心配なところです
シャンシャン
今朝のニュース、シャンシャンが上野動物園を出発するという中継(もちろんシャンシャンの姿は見られないのだけれど)をぼんやり見ていたら、そういえば私のスマホにはシャンシャンの写真があったのではないかしらと思い出しました。
そうそう、見てました、私。
2019年の9月ですって。
あのときはほんとうにゆっくり見ている時間がなくて、ひとまずハシビロコウだけは見たいという思いで朝一番に飛び込んだ上野動物園。
だけどどうしてもパンダを素通りすることはできず。
うーん、いまなら30分待ちで見られるのか、だったらパンダに私の30分を捧げようじゃないかと結局行列にならんでしまったのでした。
だって、ここにきてパンダを見ないなんて、しかもシャンシャンだし。
でも今になって思います。
あのときパンダを素通りしなくて本当に良かった。
今度またゆっくりと見に来よう、そう思っていたらコロナが流行して三年も経ってしまって、次に上野動物園に行くときにはもうシャンシャンはいなくて。
いまではこの写真がとても大切なものになってしまいました。
「今度またね」
「いつかそのうちにね」
そんなふうにものごとを先送りにして結局後悔してしまうという経験は、この先できるだけ少なくしたいものだなぁと思いました。
春の光
2月も半ばを過ぎました。
「カクテイシンコク」という天敵と戦っている間に、あっというまに2月も後半に突入していたのでした。
ようやく終わりましたよ、戦いが。
毎年毎年繰り返していることなのに、どうしてこう毎回新鮮な苦痛を感じるのか。
確定申告だけはどうしても慣れるということがありません。
いつも2月は苦痛なのです。
優秀なアプリのおかげでいざ作業を始めてしまえばとてもあっけなく終わってしまうことだし、なにしろこんな小さのお店のことですから作業にかかる時間というのはそれほどたくさんということはないのですが、とにかく作業に取り掛かるまでの気持ちの重さがものすごい。
だから本当の天敵は確定申告なのではなくて、作業に対する自分の気持ちなんでしょうけれども。
さて、苦痛な作業もようやく終わって次に取り掛かったのがパウゼのプチ模様替え。
今回は窓をちょっとだけリニューアル。
まだまだ寒さは続いているけれど、太陽の光は確実に春に向かっている感じ。
店内の植物たちを見ているとそれがよくわかります。
こうなると、もう少し光を店内に取り込んであげたいなぁという気持ちになりまして。
冬は障子のような感じがいいなぁということでの和紙の窓シートを使っておりましたが、すりガラス風に取り替えてみました。
春が待ち遠しくてちょっと先走っちゃった感も少々ありますが、昼間の店内はこれまでより少し開放的な感じになりましたよ。
習慣というやつ
ここのところ、パウゼの壁を見上げては「ちがうちがう、もう違うんだった」と思うことが一日に何度も。
何度も、どころじゃないかも、何十回も、かも。
パウゼの開業当初「施術中のお客様からは見えない場所のほうがいいだろうな」との思いから、時計は施術チェアの背中側の壁の高いところに。
わざわざ「何時かな?」と振り返らなければ見えない場所に、あえて掛けるようにしたのです。
せっかくゆったりと過ごしているときにふと時計が見えてしまっては、望んでいないタイミングで現実に引き戻されてしまうこともあるのではないかと。
できれば施術中にそんなことは避けたいなぁと思ったのです。
でもあれからずいぶんと年月が経ち、いろんなことが変化して、今では施術中にスマホを操作しながら過ごすお客様もたくさんいらっしゃいます。
それに、「次の予定があるから〇〇時にはここを出たいんだけど」というような、ご自分のメンテナンスのためにと忙しい合間を縫って来てくださるかたも増えました。
だから「せめてここにいる間くらいは時間を忘れてゆったりと」などというのは、もうそんな時代ではないのかもしれないなぁと思うようになりました。
むしろ今は私自身が「忙しくてしんどいときこそ、ほんの少しの時間でもぜひご利用いただけたら」と思っているので、時計の場所にこだわるなんてことはもうどうでも良くなってしまったのです。
そこで時計の話に戻ります。
振り子時計って、好きなんです。
いつまでも眺めていたいくらい好き。
できることなら鳩時計(カッコウ時計?)にしたいくらいなのだけれども、いくらなんでも毎時間トリが鳴くというのはここじゃだめだろうと思い、かといって鳴かない設定にするのであれば鳩時計にする意味もなしってことでせめて振り子のある時計を選んできたのだけれど。
先日、長年使ってきた小鳥の振り子時計がとうとう使えなくなりまして。
次の時計を探していたのだけれど、なかなかこれだというのが見つからず。
そうこうしているうちに、置き時計という選択肢もありだねってことに気が付きました。
というわけで10日ほど前から置き時計に変わったのですけれども、長年の習慣というのはなかなか抜けなくていまだに「今は何時かな?」と思うと壁を見上げてしまうのです。
そして「あ、ちがうちがう、もう違うんだった」となるわけなのです。
これをもう10日も続けている、学習能力のない私。
そして自分がどれほど頻繁に時間を確認しているのかということにはじめて気がつき、ものすごく驚いています。
お客様のご予約次第で自分の行動が決まるという生活を長年しておりますから、そのせいなんでしょうか。
予定があろうとなかろうと、ヒマだろうと忙しかろうと関係なく、普段からものすごく頻繁に時間を確認する習慣が身についてしまっているようです。
時間を確認したくなるというのはしかたがないとしても、そろそろ壁を見上げるのはやめられないだろうか。
もしお客様がその視線に気がついて「パウゼさん、さっきから何回も壁を見てるんだけどだいじょうぶかな」なんてなったら困りますもの。
先代の黒猫は夜中に私のベッドの上で壁に向かって「シャー!」としていることがたびたびありました。
なにが見えていたんだろう、あれはもうほんとうにこわかった。
あんなふうに「パウゼさん、なにが見えてるんだろう?」なんてあらぬ誤解を招いてはいけません。
なにも見えていません、時計を探しそこねただけですよ。
だからみなさま、私が何度も壁を見上げてもどうぞ不思議に思いませんよう。
ただただ、長年の習慣が抜けないだけですので。